「Backstage」カテゴリの記事
はたらきたい。
ほぼ日刊イトイ新聞 糸井重里


「ほぼ日の就職論」と銘打ってあるが、いわゆる「就職」にはあまり役立たないと思われる。人材紹介事業をやってる人や組織マネジメント論の研究者も出てくるけど、具体的なハウツーが語られるワケではないし。
ただ、「就職するため」にはあまり役立たないが、「就職した後でどのようにはたらいていくべきか」を考える上では、非常に多くのヒントを与えてくれる一冊だ。
太古の昔であれば、「なぜ働くのか」なんてのは愚問中の愚問だったはずである。
働かなければ食えないワケで、つまりは「はたらく」のは「生き残るため」だったのだから。
少なくとも現代の日本では、「食っていく」ことだけが「はたらく」理由ではないだろう。
たとえそれこそ「食っていくだけで精一杯」な状態にいるような人であっても、「そうではない状況」を想像するのでなければ、働き続けることがきわめて厳しい苦行になってしまうんじゃないだろうか。
「食っていくため」以外の 「はたらくことの意義」は、かつては社会が与えてくれていた。
たとえば、戦後から高度成長期にかけての日本では、働くことで自分が豊かになり、ひいては社会が進歩していくことが実感できたのだろう。だからこそ、その時代のノスタルジアに浸れる「プロジェクトX」のような番組がヒットしたりもするワケだ。
おそらくそれはそれで幸せな時代だったのだは思うが、少なくとも現時点での私には、「はたらくことの意義」を外から与えてもらうのではなく、自分自身で選び取れる今の方が幸せだと感じられる。
社会からの借り物ではない「はたらくことの意義」を自分自身の手で見つけ出すことは、正直そんなに簡単なことじゃない。
だが、ヒントはそこかしこに転がっている。
たとえばこの本のように。
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はたらき方 SOHO
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2008-06-29 11:17 pm | Backstage/ 書評 | No Comments »
と言っても、現在はほぼメールのバックアップ用になっているサブマシンの方だが。
しばらく前から、電源を入れてもBIOS画面が表示されず、何度かリセットボタンで再起動すると立ち上がる、という状態だったので、そろそろかも……、とは思っていたのだが。
昨日、ついに何度リセットボタンを押してもついにBIOS画面が現れず、ついには電源自体入らなくなってしまった。
現象から見て、おそらくマザーボードがイカれてしまっていると思われるので、小手先で何とか復旧できるレベルではない模様。
とりあえず、ノートPCが別にあるし、仕事をする上での支障は全くない。
ただ、メインのマシンも4年近く使ってきているものなので、そろそろ入れ替え時ではあるのだが。
以前は自作系のショップからキットを購入してマシンを組んだこともあるのだが、組み立て→OSのインストール→アプリケーション類のインストール→諸々の環境設定までやっていると丸3日ちかくつぶれてしまうので、最近はショップブランドのマシンを(一部パーツを入れ替えしてもらって)購入している。
久しぶりに、ボチボチと自作をしてみるかなぁ、などと思っているのだが……。
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コンピュータ SOHO
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2008-05-31 01:20 pm | Backstage/ 徒然 | No Comments »
自民党で選挙と議員をやりました (角川SSC新書 17)
山内 和彦


日本の選挙を舞台にした映画というと、ジェームス三木が監督した「善人の条件」を思い出すが、実際の選挙運動をドキュメンタリーとして追いかけた「選挙」という映画が昨年公開されていたらしい。
広島でも上映したところがあったにもかかわらずまったく気付いていなかったのだが、とあるブログに紹介されているのを見て興味を持ったところで、書店で見つけたのがこの本。
件の映画の主人公(?)である元川崎市会議院の著書である。
山内氏が立候補して当選した選挙は、かなりイレギュラーな条件下で行われたものだが、いわゆる「自民党の政治家」全般がどのような過程を経て政治家としてのキャリアをスタートさせるのか、その一端が垣間見える。
それは、とりもなおさず、戦後の大部分にわたって与党としてこの国の方向性を決めてきた人々の出自を浮き彫りにするものであり、何故今この国がこういう状況になっているかを考える上でも重要な材料になるだろう。
この本は当事者自身の手によるものだが、これを第三者の視点から撮った映画はどのようになっているのか。
DVDが発売されているようなので、そちらを観て比べてみると面白いかもしれない。
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選挙 映画 政治
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2008-05-02 10:58 pm | Backstage/ 書評 | No Comments »
東京裁判 (講談社現代新書 1924)
日暮 吉延


1945年の敗戦によって日本は、明治維新以降の約80年間に近代的国家として積み上げてきたもののうち、かなりの部分を「リセット」してやり直すことを余儀なくされた。
敗戦国がそういう「出直し」を強いられるのは、古今東西普遍的な現象ではある。
しかし、日本の場合には、この「リセット」が「国家が無条件降伏する」という苛烈かつ異例な形式で行われ、戦勝国(アメリカ)に安全を担保してもらいつつ経済発展を優先して豊かな生活を獲得するという方向を(結果的に、かもしれないが)選択してきた。
このため、この「出直し」の本当の意義について、冷静に議論することが未だにできていない。
いわゆる「東京裁判」は、戦前日本の「リセット」を象徴するもののひとつであり、特に戦前日本がとってきた行動が先鋭的に凝縮された「大東亜戦争」に対する評価がぶつかり合う舞台であるだけに、約60年経過した今も日本国内で客観的・公平な議論が行われているとは言い難い。
歴史上の事象について、それを「肯定」するか「否定」するかの「価値判断」「評価」は必ずついて回るものだが、東京裁判についてはその「評価」を行う以前の「事実認識」が必ずしも正しくない場合が多い、とこの本の筆者は述べる。
その認識に基づいて筆者は、東京裁判の実像を「事実」を積み上げることによって描き出している。
筆者は東京裁判を、その当時の国際情勢を映し出した「国際政治の縮図」としてとらえている。それは当然、複雑多様な利害・思惑・感情etc.が絡み合っており、単純に肯定/否定で割り切れるような世界ではありえない。
この本を読むと、東京裁判の全体像を近・現代史の流れの中にどのようにとらえるべきか、かなり公平な視点を得ることができるはずだ。
と同時に、東京裁判を肯定するにしろ否定するにしろ、「評価先にありき」の東京裁判論が総じていかにナイーブなものであるかがよくわかる。
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近・現代史 日本
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2008-03-31 11:45 pm | Backstage/ 書評 | 1 Comment »
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