2008, 4月 の記事
冠詞マスター教本
石井 隆之


人間は、物事を考えるときに「言葉」を使う。
どのような道具を使うかは、そこからどのようなモノが生まれてくるかに大きく影響するワケで、「言葉」もある種の道具の一種である以上、そこから生み出される「思考」の有り様に大きく影響を与える。
一方、思考の結果を他者と共有するために「言葉」は不可欠な道具である。
ある「思考」を他者に伝達するためには、その「思考」に対応する表現を持つ「言葉」が必要になる。
つまり、「言葉」が「思考」に影響を与えるのと同時に、「思考」も「言葉」の有り様に大きく影響を与える。
つまり、異なる言葉を使っている外国人同士では、「モノの考え方」が異なっていて当然、と言える。
特に文化圏・言語圏が完全に異なる外国人同士の場合には、「モノの考え方」を作り上げているそもそもの「材料」が異なっていたりするから厄介だ。
この本のテーマになっている「冠詞」は、日本語の中にはまったく存在しない要素である。当然、英語のネイティブスピーカーが冠詞によって伝えようとする思考・概念も日本語ネイティブスピーカーの中には存在しない。
冠詞を学ぶということは、大げさに言えば「考えたこともなかった」ことを学ぶようなものだ。
おまけに冠詞は英語ネイティブにとっても「実はよくわからない」厄介なものであるらしく、なかなか体系的・論理的かつわかりやすい参考書というのが少ない。
ま、この手のことを積極的に勉強しようという人はいわゆる「上級者」であるはずなので、初級者向けの取っつきやすい参考書になりにくいのはある意味当然なのだが……。
この本は、冠詞の用法を細かく分類して網羅的に解説して、その表す概念をどのように理解するための手がかりを示そうとしている。
私の場合は、この本でほんのわずかに霧が晴れたような気がするのと同時に、その霧の向こうに横たわっているものの厄介さ加減に気持ちが萎えそうになった、というのが正直なところ。
折を見て再読・三読……としていくべき本、というところだろうか。
Tags:
冠詞 翻訳 英語 文法
トラックバックURL: http://office-unite.com/archives/35/trackback/
2008-04-28 03:34 pm | Bookshelf/ 語学書 | No Comments »
大車林―自動車情報事典


以前、結構長い期間に渡って、自動車関連のニュース・レターの翻訳・校正をやっていた。
新モデルの発表やリコール情報は言うに及ばず、メーカーの決算報告などの財務関係の話から労使交渉の展開などに至るまで、内容は実に多岐に渡っていて、この仕事を通して世界の自動車業界のことをずいぶんと学んだと思う。
そういう「業界の仕組み」を知るのも楽しかったのだが、やはり根が(分野は違うが)「エンジニア」なので、一番面白くやることができたのは車のテクノロジーやメカニズムに関連するニュースのときだった。
自動車は、何より自分が日常的に使っている「道具」だから、そこに使われているテクノロジーにまつわる「思想」を体感的なものとしてイメージできる数少ない製品である。
それに、自動車には多岐に渡る技術が利用されているから、クルマに使われているテクノロジーへの興味を足がかりにさまざまな技術工学分野に分け入っていく、なんていうのも良いかもしれない。
この「大車林」は、自動車本体だけでなく、生産技術、社会的背景、環境についての課題など、自動車とそれを取り巻く多様な事柄を網羅的かつ比較的丁寧に説明してある。
材料や加工技術など、素材に近い部分についての項目も豊富なので、工学関係の基礎的知識に関する資料としても便利に使える。
図もかなり豊富に使ってあるので、 パラパラと眺めながら自分の乗っている車を思い浮かべる、という楽しみ方もできる事典である。
Tags:
事典 翻訳 自動車
トラックバックURL: http://office-unite.com/archives/34/trackback/
2008-04-12 11:44 am | Bookshelf/ 理工学書 | No Comments »
アークコミュニケーションズの大里さんのブログに興味深い記事があったのでTB。
翻訳の仕事を専業で始めてから約8年になるが、未だに「翻訳の『品質』」とは何かについて悩むことは多い。
翻訳に求められることは、まとめてしまえば「原文に書かれている内容が正確に伝わるように、わかりやすく訳出する」というひと言に尽きるのだが、この「わかりやすく」というのが結構厄介だ。
「正確に伝わるように」というのも、実は考え出すとかなり面倒なテーマなのだが、ここではちょっと脇に措いておくことにする。
書かれた文章が「わかりやすいか否か」を判断するのは、通常は最終的な読み手である。
しかし、実務系の翻訳の現場では、翻訳を発注するクライアントが情報の送り手(書き手)側である場合が多い。
たとえば、製品のカタログやマニュアルの翻訳を発注するのは、その文書をユーザーに向けて送り出すメーカーであり、この場合に成果物の出来不出来を判断するのもそのメーカー側の人である。
その場合、クライアントには情報の送り手としての想いがあるワケで、成果物に対する評価もその観点から行われるのはある意味当然である。
しかし、送り手が思い描く「わかりやすい文章」が、本当にエンドユーザーにとって「わかりやすい」ものであるとは限らない。
翻訳者は(少なくとも私は)、情報の送り手側と受け手側を行きつ戻りつしながら、送り手側が意図していることを可能な限り正確に把握し、受け手側がそれを正確に、かつできるだけ送り手側が意図しているようにストレスなく読み取れる訳文を探っていく。
場合によっては受け手側に寄りすぎて送り手(発注者)側の意図とズレた訳文になったり、逆に送り手側に肩入れしすぎて受け手側にとってはわかりにくい訳文になることもありうる。
理想的なことを言えば、送り手・受け手の双方が、高いレベルで「わかりやすい」と感じられるのが、本当の意味での「高品質の翻訳」なのだと思う。
ただ現実には、実務系の翻訳の場合に翻訳の「品質」を判断するのは、情報の送り手側であるクライアントである。当然、その品質評価について、翻訳者側とクライアント側との間で齟齬が生じる可能性はあり得る。
それを防止するのに重要になってくるのが、クライアント(発注者)からの情報だ。
原文に書かれていない発注者の意図が詳しくわかれば、想定されている読者(受け手)のイメージも明確になり、発注者側だけでなく受け手側から見た「わかりやすさ」も結果的に向上するはずだ。
結局、翻訳は「コミュニケーション」の一部であるから、その質を向上させようとすれば、それに関わる当事者間のコミュニケーションの向上が不可欠、ということになるのだが。
これがなかなか、手間も時間もかかる大変な作業なんですなぁ……。
Tags:
翻訳
トラックバックURL: http://office-unite.com/archives/33/trackback/
2008-04-08 11:57 am | 全般/ 翻訳・言語四方山話 | No Comments »