Twitterに興味深いツイートが流れてました。
沢村 亙(@wsawa)
「英語=国際語」の犠牲者が、英語を母国語とする人々。みんな英語を話すので、英国では外国語習得者が減少。昨年、EUの職に応募した5万1千人のうち採用された英国人はたった7人(7日付Times)。英語を話すドイツ人と英語しかできない英国人のどっちが有利かは火を見るより明らか。
https://twitter.com/#!/wsawa/status/167234456422334465
英語が事実上の「世界標準語」となる傾向がますます強まることで、英語を使ったコミュニケーションにおいて英語ネイティブスピーカー(Native English Speaker: NES)の優位性は急速に縮小している、と感じます。
たとえばウチでは、国際鉄道連合(UIC)のニュースレターの翻訳を3年ほどやっていますが、この原文英語の大半はおそらくNESが書いたものではありません。本部がパリに置かれているためか、フランス語話者が執筆していると思われる記事が多く、最近はこれにドイツ語話者によるものらしい記事が混ざるようになってきました。
また、フィンランド大型クレーン機器メーカーKonecranesの案件を担当した際には、フィンランド語話者によるとおもわれる「冠詞のほとんどない英文」にえらく苦労しました(フィンランド語には「冠詞」がない)。それも社外向けに公表される正式文書で、です。
日本では未だに英語について「NES信仰」と呼べるような意識が根強く残っているようですが、世界的に見れば英語によるコミュニケーションにおいて「NESの手が加わらなければならない」という考え方はほとんどなくなりつつあるのではないか、と感じます。
また最近では、Web検索の結果が全世界を対象とした巨大なコーパスとして利用できるため、「○○訛りの英語」は次第に少なくなり、NES・非NESを含めたすべての英語話者が使用する英語の最大公約数的な部分を集約した新たな「世界言語としての英語」ができあがりつつあるようにも見えます。
(実際、仕事で目にする文書でも、あからさまな「○○語訛りの英語」は数年前に比べるとぐっと減ってきています)
これまでも英語は「世界に出て行く」ためのツールとして認識されてきましたが、今後はその「英語」の向こう側にある世界の多様性にきちんと対応できるか否かまでが問われてくる時代になるんでしょうね。
フィンランド語には冠詞がないの?なんかうれしいぞ。