「英語が使える」と言えるのは、どのレベルから?
どのあたりまでの能力を身につければ、コミュニケーションの道具としてその言葉を「使える」ようになったと言えるのか。
まず「目指すべき状態」はどのあたりなのかを探っていこう。
日本の英語教育の場合で言うと、実はコミュニケーションに必要な文法知識の枠組は、中学校卒業レベルでほぼ網羅されている。
基本的な枠組は、中学校卒業までに習うことになっている。
語彙力の点でみると、中学校で習う語彙が1000語弱、英検3級(中学校卒業レベル)の出題範囲が約2000語とされている(合格に必要なのが1200~1400語)。
この語彙数で、日常的な会話の75%程度をカバーできるらしい。
基本的な枠組の知識と、全体の75%を把握できる語彙。
これがあれば、何とかそれなりのコミュニケーションができそうな気がしてこないだろうか?
やっぱりそんなに甘くはない、のだが……
結論を言うと、その期待に対する答えは「Yes」でもあり「No」でもある。
まず、あくまでも日常的に使っているわけではない「外国語」についての能力なので、額面通りにそれを発揮することはできない、と思っておくべきだ。
個人的な経験からの感覚では、このレベルではネイティブスピーカー相手の会話のうち、最初からきちんと意志疎通できる内容は40~50%程度。
「話の半分は通じない」のである。
しかし「半分は通じる」のであれば、会話をやりとりしながらコミュニケーションのギャップを埋めていくことは不可能ではない。
ただし、こちらが使っているのが「外国語」であることを踏まえて、コミュニケーションの上できちんと歩み寄ってくれる相手であれば、ではあるが……。
教材の売り文句でよく見かける「中学英語でこんなに話せる!」みたいな話は、実態としてはこんなところである。
これを「英語ができる」と言うことは、ちょっとできそうもない。
「まず目指すべき山」として
しかし、「半分は話が通じて、そこからギャップを詰めていくことができる」というのは、外国語のコミュニケーションにおいては実は結構スゴいことなんである。
外国語学習では、ここに至るまでの段階が一番五里霧中で精神的にしんどい。
だがこのレベルまで行くと、どこにコミュニケーションのギャップが生じているのか、おぼろげにではあるが見えてくるようになる。
その外国語のスキルについて自分に欠けている部分を重要度に応じて整理することも可能になってくる。
(これより前の「欠けている部分」だらけで「何もかも足りない」状態から、「次に最優先で学習するべき課題」を整理できる状態になる)
しかも、追々書いていく予定だが、実は英語はこの段階までの習得が比較的やりやすい言語でもある。
まずは「中学校卒業レベルの英語」を完全に制覇すること。
これを最初に目指すべき山として設定しよう。