@niaoさんのブログで「うん、その通り!」と思う記事があったのでシェア。
加えて(便乗して?)自分の考えていることなど。
Factory70 Blog
小学校の美術の授業で石膏デッサンをやったらいいと思う。結構マジで。
記事中の見出しで書かれていることに尽きるんですけどね。
技術が表現を支えていることを学ばせるべき
「基本スキル」は意外に盲点
気分転換にちょこちょこと鉛筆デッサンをやっているんですが、基本的に「絵心」の無い人間なので、こんな本を参考にしています。
デッサンの基本 (ナツメ社Artマスター)
アトリエ・ハイデ
類書もいくつか目を通しましたが、目からウロコなことがたくさん。
たとえば、描くものの形を円・楕円・三角形・四角形などの基本的な図形の組み合わせとして捉えて、紙の上に再現していく、というスキル。
言われてみれば当たり前で、分かっている人にとっては常識以前のことなのかもしれません。
しかし、私にとっては「言われるまで気付かなかった」ことでした。
「基本スキル」は「自然に」身につかない
考えてみれば、
- 何かを表現することを前提にして、
- 対象になるものの特徴を整理しつつ把握し、
- 再構築して表現する
というルーチンを構成しているスキルは、表現にあたってどれも外すことのできない基本的なものばかりです。
なおかつ、それらのスキルは「自然に身につくもの」ではありません。
(教えられないまま自然にそのスキルが発露する人もまれにいますが、そういう人は一般的に「天才」と呼ばれます)
すべての表現はスキルの上に成り立つ
一方でこの基本スキル、体系的に教われば、ほとんどの人がある程度のところまでは身に付けられます。
美術・芸術系の教育機関ではそういうノウハウをきちんと持っていますし、教えることは難しいことではないはず。
美術・芸術系の課目だけでなく、「国語」についても問題は同じ。
言葉による表現の様式・方法を体系的に習得することを目指すカリキュラムは、小・中学校の学習指導要領には見当たりません。
「小学生の作文」の類型に沿った「いかにも」な作文が量産されてしまう原因はここにありそうです。
そもそも、基本的なスキルを習得せずになにがしかの表現をさせよう、というのはムリ。
「感性を育てる」よりも、まず必要なのはスキル教育でしょう。
このあたり、この記事がすごく参考になります。
日米仏の思考表現スタイルを比較する──3か国の言語教育を読み解く──
この基本スキル、母国語で身に付ければ外国語にも応用可能です。
「英語が苦手」な人が多い、というのは、そもそも「言葉で表現する」基本スキルが母国語できちんと身に付いていないからかもしれません。
こういうスキルこそ、学校で体系的に教えるべきだと思うんですが……。
以上、学校教育が自分が受けた頃から本質的に何も変わっていないことに驚いている大越でした。